横浜白門会支部創立120周年「箱根駅伝ルート」散策紀行(藤沢→茅ヶ崎編)

箱根駅伝紀行 藤沢から茅ヶ崎まで
今回は、藤沢駅で藤沢白門会の有志の皆様と集合して駅伝ルートを歩きます。

藤沢宿

藤沢宿は、遊行寺の門前町として徳川幕府が五十三次の宿駅を定める前から多くの参詣者の宿泊所として賑わっていた。
江戸時代に伊勢詣で、富士講と並び大山(おおやま)詣でが盛んとなり、江戸庶民の物見遊山が流行した。大山詣では主にとび職の人達が隅田川で斎戒沐浴をして大きな木太刀を担いで、相模の国(現神奈川県)丹沢山系の大山の頂上に登り、持参した木太刀を山頂の社に納めることが行われた。江戸庶民の間にも大山詣でが広まり、江戸からは参詣道として澁谷村から大山街道と称される道が二子玉川の渡しを経て伊勢原まで続いていた。この道が現在の通称ニーヨンロクと呼ばれる国道246号線の元となり、渋谷から沼津を結ぶ主要道路へと変貌した。
神奈川県内には他にも大山街道と称される道が幾つもあり、その一つがこの藤沢宿から大山の麓の伊勢原に続いている。そこで、江戸から東海道を下り藤沢宿から伊勢原に向かう人、大山からの帰り道に藤沢宿に立ち寄る人達も増えて、藤沢宿の夜は男たちにとっては、極めて小規模で比べものにはならないが「ラスベガスの夜」のような遊興で大いに賑わっていた。
この男達だけが「お詣り」と称しての物見遊山で良い思いをするとはと、女たちも物見遊山を楽しみたいと思ったようで、大山は女人禁制で入ることができないため、女神が祀られている江ノ島の弁財天を参詣することがはやり始めた。
そこで東海道を夫婦子連れで下り藤沢宿に泊まり、亭主は大山に、女房と子供は江ノ島へと向かったようである。江ノ島には宗像三姉妹の神が祀られており、末の妹のイチキシマヒメノカミは絶世の美女であり、本地垂迹説により仏教の弁財天と比定されていることから、女性たちには殊の外人気があった。
ちなみに、日本の女神で最高の美女はコノハナサクヤヒメである。富士山がご神体とされる。

藤沢から湘南海岸

藤沢から湘南海岸へ向かうルート沿いの鵠沼地区は、高級住宅街として敷地の大きなお屋敷が建ち並んでいたが、今では、相続の関係か大きな土地は売却され、普通の住宅地へと変貌している。
また、道のりはほぼ平坦で、周りの景色も単調であり沿道の景色が目に入ることもなく、走ることに専念するルートであるが、近隣が住宅地であり、周辺住民の声援が大きいのが選手にとっては有難い。

湘南海岸から茅ヶ崎へ

湘南海岸にあと少しで到達するルートで、目の前に大きな歩道橋が見えてくる。
その下を右に曲がり西湘バイパスへと続く道に入る。この歩道橋は相模湾に近く、浜辺からは江ノ島やサザンオールスターズの歌で一躍有名となった烏帽子岩(えぼしいわ)も見ることができる。
この交差点から続く道のりは両側に見事な防砂林が相模川付近まで続き、海岸からの強い風は遮られ、平坦な道を気持ちよく走ることができそうである。